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恋と股間 (よりみちパン!セ)

杉作 J太郎 / 理論社


恋愛やセックスといったものから閉め出されていると感じている男の子たちを対象に、どうしたら彼女ができるか、恋愛と深く関連する「性行為」というものをどう考えるべきかといった難しい問題について、著者の体験も含め、ともに考えていこうというのが本書のテーマである。

冒頭、「恋愛は断わられることから始まる」と著者は語る。そもそも恋愛においてうまくいくこと自体が「イレギュラー」であり、うまくいかないのが「レギュラー」なのだと。なぜなら、男女の世界というものは異界で、わからないことだらけだからだ。でも、それがむしろ面白いのだと著者は語る。相手のことが自分のことのように何でもわかってしまってはつまらない。わからないからこそ、一緒にいてわかろうとする。その中で、わからないなりに精一杯相手を思いやったり、想像力を働かせたりするわけだ。

きっと、想像力というものは、私たちが思っているよりもずっと大切で、これから私たちが身につけていかなければいけないものなのだろう。そんなことを気づかされる一冊だ。(ししどこうすけ)
# by plat-home | 2008-12-27 00:01 | ししどこ

これならわかる東北の歴史Q&A

一戸 富士雄 / 大月書店


「東北の歴史」というと、時代ごとの東北地方の出来事や事件をただ年代順に記述していくような、そんなものを想定するかもしれない。だが本書は、そんなふうなありがちな類書とは異なる。

そもそも「東北」という地域区分自体が歴史的な構築物である、との認識が本書冒頭で示される。明治政府内で権力を掌握した「西南」諸藩に対し、最後まで楯突いた「東北」諸藩=奥羽越列藩同盟。その対立構図の中から「東北」は生まれ、現在もなお私たちの認識と行為とを深いところで規定し続けている。

かくして本書は、この明治以後の「西南/東北」図式の眼鏡を外して、それ以前の前近代東北の社会や政治、文化を丁寧に記述していく。そこにあるのは、一般にイメージされがちな、貧しくて未開の後進地域ではなく、豊かで独自の文化を開花させた野生の王国の姿だ。ところがそんな北方の王国も、江戸時代に始まり明治以降本格化した植民地化の力に抗いきれず、先にあげたような、低開発地域としての「東北」へと移り変わっていく。

私たち東北人を未だなお強固に縛り続ける劣等意識の来た道を、本書は静かに示してくれる。(たきぐちかつのり)

女のオカズ

色川 奈緒 / 河出書房


「オカズ」とは、マスターベーションで使うネタのこと。本書は、12人の女性たちに、各自のマスターベーションについて取材し、それらを一冊にまとめたものである。

取材対象は、下は25歳から上は49歳までと幅広く、職業も、会社員、漫画家、作家、公務員、編集者、ライターなどさまざまだ。「初めての自慰行為」「そのきっかけ」「どのように行うか」「SEXとの関連」「オナニー/マスターベーションの言葉のイメージ」「友達とマスターベーションについて話すか」などの問いが投じられている。

セックスの話題は自慢話になりがちだが、マスターベーションの話題は、その人の個性が出て面白い。しかし、女性の場合は自慰行為自体にタブーがある。「マスターベーションをする女性はモテなそう」「ミジメだ」などというイメージがあることも確かだ。

本書を手に、世の女性たちも、マスターベーションや、それをめぐる語りを楽しんでくれればいい。そして、女性一般の間でも、マスターベーションが、男性並みに浸透していってほしいと思う。(かめやまゆうき)

マンガに人生を学んで何が悪い?

夏目 房之介 / ランダムハウス講談社


「マンガが人生に影響を与えた」などと言えば一笑に付される。海外の人から見れば「なぜ大人になっても読んでいるのか」と疑問を持つらしい。「たかがマンガ」ということだ。しかし、映画や文学では「人生」への影響が機能するように、マンガでも機能する、つまり、マンガもまた「人生を語る」ようになったのではないか。なぜ、日本のマンガは「人生」を語り始めたのか。

現在数多くあるマンガのように、「人生」が語られ始めたのは1960年代以降。戦前、戦後の1950~60年代の「子供だまし」的なマンガは、その当時の子供と共に、少年期から思春期、そして青年期と、描く表現・主題を成熟させていく。といったような「マンガの人生」を著者は書く。

これは共に「人生」を歩んだ、1950年生まれの著者だから書けることであろう。ただそのせいか、ある種の個人的感情というか、感傷のようなものも含まれた文章であるように見える。しかしそれでも、日本独特の表現に至った、マンガの歴史と作品を示してくれることはありがたい。(いまむらゆうこ)

自民党政治の終わり (ちくま新書 741)

野中 尚人 / 筑摩書房


自民党結党(1955年)以後、1970年頃までに形成された「自民党システム」(行政官僚制と党との緊密な協働、多様な分配政策、ボトム・アップ型の党内政策決定メカニズム、派閥人事、族議員と「鉄の三角形」中心の政策決定、自社両党による国対政治などからなる統治メカニズムのこと)。本書は、著者独自の概念であるこの「自民党システム」を手がかりに、混迷する自民党政治の現在を読み解く試みである。

著者いわく、この「自民党システム」は冷戦下で発達し進化を遂げた社会的構築物である。当然ながら、文脈が変わればそれは最適解ではなくなる。現在の自民党政治の混迷もまた、文脈の変容――具体的には冷戦の終わり――に起因する、と著者は断言する。

分析されているのは、システムの終焉だけではない。遠く江戸時代にまで遡る縦軸の視点と、国際比較を駆使した横軸の視点。近視眼的に現代日本政治の諸相だけを取り出してわかった気になるのではなく、異なる時間や空間の多様性の中に位置づけることで、現代日本政治の固有性が何なのかを析出していく。政治の混迷を読み解く確かな視座を、そこから得ることができるだろう。(たきぐちかつのり)

知識だけあるバカになるな!

仲正 昌樹 / 大和書房


本書は、人文系の学問を学び始めようと思っている人たちに向けて書かれたもの。人文学の入門書は巷にあふれているが、内容が入門者向けではないので、せっかく手にとってみても難しすぎて挫折してしまう人が多い。そんな中で、人文学を学びたいという人たちへ「人文学の入門書の入門書」として書かれたのが本書である。

他者と関わる上で必要となるのが「教養」だ。人文系の学問を学ぶことで、私たちは「教養」を身につけることができる。本書では、人文学を学ぶことを通じて、この「教養」を身につける方法が語られている。副題「何も信じられない世の中で生き抜く方法」というのもそこからきている。

ではその「教養」とは何か。著者の言う「教養」とは、学問や知識を身につけることによって得られる心の豊かさや物事への理解力、社会人として必要な文化に関する広い知識のことを指す。それは、マナーや礼儀作法の習得、雑学知識の豊富さとは違う。本書は、この誤解を丁寧に解いてくれる、現代版「教養」入門でもある。(ししどこうすけ)
# by plat-home | 2008-11-28 00:01 | ししどこ

私たち、日本共産党の味方です

筆坂秀世×鈴木邦男 / 情報センター出版局


誰もが名前や存在は知っていながら、その実態について理解されているとはいいがたい日本共産党。そんな「日本共産党のリアルとこれから」について、破門された元・日本共産党幹部と新右翼「一水会」顧問とが縦横に語りつくした対談集。

右の鈴木も、左の筆坂も、それぞれが自陣営の辺境に自らの立ち位置を定める。それゆえか、その批判的なまなざしは、相手陣営よりはむしろ自陣営の中枢をこそより深くえぐる。本書の批判的考察も、そうした文脈でなされる。日本共産党にダメージを与えるためではなく、日本共産党をよりよく活かすためとしてである。

そのように見ていくと、奇妙なことに、右翼であれ左翼であれ、そこで活動する人びとの思考や行動の様式それ自体はほとんど違わないということがわかってくる。共通するのは、「利己的な生に終始してよいのか」「社会をよりよくするために生きるべきではないか」という運動への参加動機だ。真の対立構図は、そうした社会の当事者としての意識をもつ少数派の人びとと、自分のことだけを考えて生きる多数派の生活保守の人びととの間にある。真の敵を前に左右共闘を。明言こそないが、そんなふうにも読める。(たきぐちかつのり)

イタリア的 ―「南」の魅力 (講談社選書メチエ)

F. ランベッリ / 講談社


イタリア文化は、現在の日本において、イタリアンレストランやイタリア音楽などに代表されるように、おしゃれなイメージとして定着している。また、イタリア人のイメージにしても、一方で「陽気で明るい」、他方で「不真面目」というステレオタイプが浸透している。イタリアはこのように一面的なイメージでとらえられがちだが、実際のところ、その文化や価値観はどのようなものなのか。

この本では、食、宗教、歌、政治、悲観主義の観点からイタリア文化やイタリア人のアイデンティティを探り、イタリアの新たな魅力や長所/短所を見出す。また、イタリアと日本の文化や価値観の違いが、照らし合わされながら紹介されている。

戦後アメリカの影響を受けて資本主義化した現在の日本に必要なのは、個人や家族を中心とした地域社会であり、国家や資本などの権力に対して疑問を抱き、それを批判する精神をもつことである。私たちはそれらを、イタリアから学びとることができる。(こばやしみ)

テレビと宗教―オウム以後を問い直す (中公新書ラクレ 293)

石井 研士 / 中央公論新社


現在、私たちが生活の中で実際に宗教に触れる機会は少なくなっている。バラエティ番組として、ニュースで報道される伝統行事として、あるいは事件報道として、テレビで放送される番組が提供する情報がほぼ全てである。本書はそんなテレビを通じて撒き散らされている、薄っぺらな宗教観を批判するものだ。

著者は、宗教文化がバラエティ番組やニュース報道としてのみ存続していくことを危惧する。宗教は人間の精神文化の中枢をなす「濃い」文化であり、それらへの関心や敬意が消え、薄っぺらな宗教情報しか残らないとしたら、文化、そして社会は衰退していく一方なのではないか、と。

「日本人のあいだにバラエティとしての宗教性を浸透させ、伝統宗教を伝統行事へと押し込め、新しい宗教団体の危険性を煽った」というテレビ。日常から宗教性が消えていき、精神的なものへのリスペクトがなくなってしまった現在、宗教を扱うメディアへのリテラシーが求められるとともに、私たちは、宗教に対するテレビのありかたを見直していかなければならないのではないか。(きじましおり)

教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書

大塚 英志 / 講談社


マンガ家や小説家を目指す若者たちに、専門学校で教える機会があったという著者二人だが、目指す者であれば自明であるはずの作品を知らない若者が多いことに直面する。しかしそれは、「読み継がれるべき作品がなんであるか」が伝えられてこなかったからではないかと考え、そのために書かれたのが本書である。

著者の大塚はマンガの身体表現と内面の表現技術、ササキバラはアニメの演出技術といった、作品の技術と、そして主題の継承を見ていく。

例えばマンガでは、戦前マンガの「記号的な(死なない)キャラクター」から、戦争体験を通し「生身の(死ねる)キャラクター」が描写された「戦後マンガ」が、その「生身」をもったことにより、次々と表現力を付けていくさまが書かれている。

アニメ同様、マンガというジャンルは、それまで続いてきた「わかりやすい」表現・描写を、作り手が「表現したいものを表現する」ために開拓していった。現在のマンガ・アニメで当たり前に表現されているものの歴史を、作家志望者に明文化してくれている一冊だ。(いまむらゆうこ)

ゼロ年代の想像力

宇野常寛 / 早川書房


サブカル批評の企画集団「惑星開発委員会」や批評誌『PLANETS』で活動する著者の『SFマガジン』連載論文をまとめたもの。本書が扱うのは2000年以降(ゼロ年代)に日本国内で発表された「物語」――小説や映画、漫画、TVドラマ、アニメなど――であり、それらが扱う主題の変遷が描かれる。

サブカル批評の領域では、90年代後半以降、東浩紀の「オタク=データベース的動物」論の如き「古い想像力」が依然隆盛を誇る。そこでは、95年の衝撃を受け、根拠なき社会/物語からの退却を好んで描くようになった作品群が高く評価される。『新世紀エヴァンゲリオン』や「セカイ系」がその典型だ。

一方で、ゼロ年代のサブカルは、9.11や小泉構造改革を受け、もはやひきこもってなどいられない、根拠などなくても何かを選択し引き受ける、サヴァイヴ感あふれる「決断主義」の物語を紡ぎだしている。『DEATH NOTE』などがその代表例で、著者はこれらを「新しい想像力」と呼ぶ。

以上のようなサブカルの地殻変動を、本書は、ミクロな視点で追いかける。批評を読んだことがない若い世代には、批評入門としても最適。(たきぐちかつのり)

メディア@偽装

斎藤 貴男 / マガジンハウス


近年表沙汰になってきたさまざまな領域での「偽装」。それに対し、「社会の木鐸」を自称するメディアは何をしてきたのか、メディア自体が偽装を行っているのではないか。本書は、ジャーナリストである著者の、そうしたテーマに関連する論考や対談をまとめたものである。休刊した『ダカーポ』誌上で連載されていた「メディア時評」を含む。

格差社会/共謀罪/監視社会/映画『靖国』騒動/日本教職員組合v.s.プリンスホテル(新高輪)事件/NHK番組改変報道事件など、扱われているテーマは多岐にわたるが、特に目を引くのは、映画『靖国』騒動/日本教職員組合v.s.プリンスホテル(新高輪)事件に関連して著者が語る「善意による自粛」である。「理論」ではなく「感情」において判断し「自粛」を行う映画館/プリンスホテルは、まさに現在のメディアの姿勢そのもの、と思わせる。

報道の基準が「感情」である以上、「自主規制」を行うメディアばかりを責めてはいられない。その「自主規制」の基準である「感情」の発信源は、私たち「一般大衆」なのだから。(さとうあき)
# by plat-home | 2008-11-07 00:00 | さとうあ

1995年未了の問題圏

雨宮 処凛 / 大月書店


日本社会にとって歴史的転換点となった「1995年」。阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件が立て続けにおこり、戦後日本の終焉が叫ばれた「戦後50年」。しかしこの年は、何かが終わったというよりは、それを起点に新しい何かが始まった年であった――その後のドラスティックな社会変動の只中にある私たちには、それが常識である(例えば、日本経団連「新時代の『日本的経営』」も95年)。では、そのとき密かに始まっていたこととは何だったのか。本書の焦点はそこだ。

社会学者である編者は、上記の問いを考えるため、現在30代の若手論客5名――雨宮処凛、中島岳志、湯浅誠、栗田隆子、杉田俊介――を迎え、それぞれと対論する。生きづらさ、宗教とナショナリズム、「構造改革」と貧困、不登校、サブカルチャーと、論者ごとに扱われるテーマはさまざまだが、5人とも95年当時を20代の「若者」として過ごし、そこでの「当事者」としての体験を自身の言論や思想の前提としている点で共通する。私たちが目の前の壁と対峙するにあたり、立ちはだかる壁の厚さと高さをリアルに測定するために、本書は必ずや役に立つだろう。(たきぐちかつのり)

恋は肉色 (光文社文庫)

菜摘 ひかる / 光文社


著者は元風俗嬢。彼女が現役時代に週刊誌で連載していたコラムと、自身のホームページで書いていた日記を抜粋し、まとめたのが本書である。

ヘルス、SM、性感、ソープなど、あらゆる業種を渡り歩き、風俗嬢としての経験を重ねた著者。その独特の言いまわしが、ときには可笑しく、ときには切ない。しかしそこに、なぜか説得力がある。

しかし、「風俗で働いている」というだけで、眉をひそめ忌み嫌う人、同情や偏見を抱く人が少なからずいる。だが、著者は言う。「風俗」は別に自慢するようなすごい仕事ではないけれど、決して人に言えないひどい仕事でもない。自らこの業種を選び、好きだから楽しく仕事ができる。自分のやっている仕事に自信があるし、誇りももっている、と。

そんな著者の強気な発言と弱気な発言、その両極がふたつ同時に表れている。言っていることが正反対で、結局どっちなんだと思う箇所もあるが、この本の面白さはそういうところからくるのだろう。(かめやまゆ)

不登校、選んだわけじゃないんだぜ! (よりみちパン!セ) (よりみちパン!セ)

貴戸 理恵 / 理論社


不登校をめぐる言説は、「治療」「対策」など、未だ「第三者」による言葉が主流だ。それに対し、本書は、不登校経験者の二人による「当事者」目線の不登校論である。

要するに、不登校は「病気」=「治療」「対策」が必要なものでもなければ、当事者の「明るい選択」でもない、ということ。「明るい選択」言説には、「病気」言説へのカウンターとして作用した点で一定の意味があったが、一方でそれは、結果的に、「明るい」方向へ行くのが正しい、という不登校内の序列を作り出してしまった。また「明るい不登校」であれど、その後も「不登校」に起因する苦しみは残る。しかしそれらは、「選択」したのだから、という形で「自己責任」にされてしまう危険なものでもある。そう、本書は語る。

不登校は「よくわからないもの」であり、それをよくわからないまま認めて欲しい、という本書の言葉。不登校に限らず、「よくわからないもの」はあふれている。それを私たちは、無意識のうちに「わかりやすく」変換してはいないだろうか。「わかりやすさ」の生み出す弊害を、本書は浮き彫りにしている。(さとうあき)
# by plat-home | 2008-10-17 00:01 | さとうあ

アメリカの宗教右派 (中公新書ラクレ 291)

飯山 雅史 / 中央公論新社


アメリカがおかしい。昨今のニュース等を通じてアメリカから漂ってくる崩壊感というのは何事だろう。それはごく単純化して言ってしまえば、ブッシュ政権8年間の、イラク戦争をはじめとする失策愚策の数々の結果が、劇的に表面化してきたということであるが、そのブッシュ政権の最大の支持基盤だった勢力とは何か。それが宗教右派である。

もともとアメリカは建国以前の清教徒入植の時代から、キリスト教プロテスタントをマジョリティとする宗教国家だ。宗教は常にアメリカ国民にとって重要な関心事であり、停滞したと思えば急激に再燃する民衆の信仰熱が、そのまま大きな社会変革へと直結してきたのがアメリカの歴史だ。

現在、プロテスタント福音派と呼ばれる信仰姿勢を持つ人々が増大している。それは歴史的信仰リバイバルの現代版かもしれない。福音派とは、そしてそれを母体として30年程前に活動を始めた宗教右派とは何か。日本人には分かり難い宗教というフィルターを通してアメリカ現代史を概説する本書は、その理解のための恰好のガイドブックだ。(おおばじ)
# by plat-home | 2008-10-17 00:00 | おおばじ

ロシア・アニメ―アヴァンギャルドからノルシュテインまで (ユーラシア・ブックレット)

井上 徹 / 東洋書店


旧ソ連諸国の社会や文化などを紹介するシリーズ「ユーラシア・ブックレット」の一冊。断片的で限られた情報にしか触れることのできない同地域に関して多面的な情報を伝えるのがねらいで、本書は20世紀ロシア・ソ連のアニメ史を概観する。著者は、映画史・ユーラシア文化が専門の研究者。

帝政末期モスクワで「コマ撮り」という手法そのものを創出した先覚者スタレーヴィチに始まるロシア・アニメ。革命と内戦による中断をはさみ、それが本格的な第一歩を踏み出すのは、20年代初め、ロシア・アヴァンギャルドの時代である。児童アニメの領域に裾野を広げたソビエト・アニメは、扇動・宣伝としての芸術が幅をきかせるスターリン体制の30年代、ディズニー化の趨勢から距離を保った芸術実践を展開。これが、「雪どけ」の時代の人形アニメの復権につながっていく。有名なカチャーノフ『チェブラーシカ』やノルシュテイン『霧の中のハリネズミ』『話の話』などは、この流れから生まれた作品だ。

ロシア・アニメ史の重要人物・作品を、背景にある社会・政治状況と連関させて描く、もう一つのロシア・ソビエト文化史である。(たきぐちかつのり)

手塚治虫―時代と切り結ぶ表現者 (講談社現代新書)

桜井 哲夫 / 講談社


マンガ家・手塚治虫は「マンガの神様」と呼ばれるほど、生涯第一線で描きつづけ、マンガの社会的地位の向上にも貢献してきた。手塚が亡くなったそのあとに書かれた本書は、手塚が描いてきたものが何なのかを、作品を当時の時代状況とリンクさせて見たものだ。

手塚は根底的なテーマとして、「差別」、「破壊と再生」、「絶対的価値への不信」などを描いてきた。それらは、手塚の家庭環境や戦争体験から作り上げられたもので、『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』、『ブラックジャック』でも見られる。

また、先に「第一線」と書いたが、にもかかわらず手塚にも不遇の時期がある。「劇画」というマンガ表現の登場、月刊から週刊へのリズム変化、立ち上げたアニメ会社の失敗などだ。

だが、それでも手塚は、受け容れる/反抗することで体験を吸収し、表現へと変えていった。そこに書かれているのは、「神様」の一言で片付けられない、マンガを描くことにもがき続け、必死でペンを走らせた一人のマンガ家の姿だ。(いまむらゆうこ)

引きこもり狩り―アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判

高岡 健 / 雲母書房


2006年4月、東京都世田谷区の男性が、母親から依頼を受けた名古屋の引きこもり支援施設「アイ・メンタルスクール」代表・杉浦昌子らにより夜中に寮へ「拉致」され、4日後、外傷性ショックで死亡した。同施設では入寮者に対する日常的な暴力行為(鎖、手錠など拘束具の使用含む)があったという。

この事件を受け、同年7月に京都と名古屋とで緊急シンポジウム「アイ・メンタルスクール寮生死亡事件を考える集い」が開催された。本書は、それに参加したパネリスト(評論家、精神科医、新聞記者、弁護士、支援団体スタッフ、県議会議員、研究者)それぞれの論考と、シンポジウムの採録からなる。

一貫して問われているのは、支援とは何であるのかということ。入寮者男性の死亡について杉浦は「殺すつもりはなかった、男性が大人しく従わないので仕方なくやった」と弁明。彼女(ならびにそうした「支援」のありかた)を支持する世論は、そこに「善意」があるなら仕方ない、と容認の姿勢だ。私たちが無邪気な「善意」信仰を捨てない限り、それと地続きの地獄は今後もまた続いていくだろう。そのことを、本書でぜひ学んでほしい。(たきぐちかつのり)

右翼と左翼はどうちがう? (14歳の世渡り術)

雨宮 処凛 / 河出書房新社


14歳向けのシリーズの一冊で、右翼/左翼の思想入門。

「右翼」とは、保守的で伝統を重視し、国家に忠誠を尽くす立場であり、ナショナリズムや全体主義、排外主義、ファシズム的で、社会主義や共産主義への敵対心をもつ立場をもつ。一方で「左翼」とは、そうした保守派に対する革新勢力で、右翼と対立する立場である。一般にはそんなふうに、両極端で対立する立場として把握される右翼と左翼。

しかし、その捉えかたは適切だろうか。右翼と左翼の両方に出入りし、それぞれの活動をよく知る著者は、そうした対立する両極というステレオタイプに異を唱える。

右翼と左翼、双方が訴えたいことは全く正反対だが、生きづらさが蔓延するこの国にあって、「日本という国を変え、生きやすい国にしたい」という思いは一緒なのだと著者は語る。ゆえに、そのどちらが正しいかと言われても答えは出ない。立場は違えど、この困難な状況を変えたいと欲し、社会変革に取り組む大人たちの存在を、本書はわかりやすく伝えてくれる。(ししどこうすけ)
# by plat-home | 2008-10-03 00:00 | ししどこ

日本 根拠地からの問い

姜 尚中; 中島 岳志 / 毎日新聞社


在日で「左」の思想家として知られる政治学者・姜尚中と、ヒンドゥー・ナショナリズム研究を専門とする「右」の若手論客・中島岳志による語りおろしの対談集。

などと書くと、「右翼」対「左翼」のありがちな論壇プロレスを想起してしまうかもしれないが、本書はその類ではない。対談を通じて浮かび上がってくるのは、右翼/左翼、保守/革新といったおなじみの分岐が生じる以前の、どろどろとした情念が渦巻く近代日本の原初の混沌の姿である。

対談は、姜の故郷・熊本で幕を開ける。熊本とは、明治新政府による国家主義(ステート・ナショナリズム)に抗った反政府反乱「神風連の乱」など、土着的抵抗の現場である。そこで確認されるのは、新自由主義――金持ちや大都市の論理――に従属する国家(ステート)に対峙するための抵抗拠点=根拠地としての「パトリ(郷土)」だ。

「ナショナリズム」「愛国心」と聞けば、専ら、国家(ステート)への有無を言わせぬ忠誠心の類いを思い浮かべてしまう現代日本の私たち。だがそれは、多様で豊かなナショナリズムの局地的な一形態にすぎない。本書はそれを教えてくれる。(たきぐちかつのり)

チベット問題とは何か―“現場”からの中国少数民族問題

大西 広 / かもがわ出版


少数民族問題のそもそもの複雑さに加え、偏見による報道が「チベット問題」の本質を見えにくくしている。中国少数民族自治区の経済を研究してきた著者は、チベット自治区の財政の八割は中国中央政府からの補助であること、漢民族経営企業では賃金が高いことなど、チベット族が中央政府や漢民族からうける経済的恩恵を指摘する。

 その上で、ラサ暴動は、漢民族経営者とチベット族労働者との間の労使問題が「民族問題」の形で現れたものと結論づけ、解決には中央政府とダライラマとの対話が必要とする。中央政府側では暴動参加者への恩赦や暴動のきっかけとなった漢民族への厳罰、取材報道の自由化が、ダライラマ側では暴動参加者への厳罰やCIA等との関係清算、彼の求める「高度な自治」の説明が必要だという。補助の実態を漢民族に知られたくないという中央政府の姿勢についても、著者は、「大漢民族主義」の解消が必要だと問題提起している。

 正確な情報の大切さとその入手の難しさについて教えられる一冊。民族は常に新しい文化を取り入れ変化していくもの、という民族観が面白い。(さとうか)
# by plat-home | 2008-09-26 00:01 | さとうか

サヨナラ、学校化社会

上野 千鶴子 / 太郎次郎社


本書は、東京大学教授(社会学・フェミニズム)による教育=社会論。「学校化」した社会をめぐる批判的なエッセイを一冊にまとめたものである。

著者曰く、「タテマエ平等」で競争させられる「学校」こそが、階級を本人に認識させ、敗者であることを受け入れさせる装置として作用している。受験競争の「勝者」は「努力」によって結果を勝ち取ったのであり、「敗者」は「努力」が足りなかったため、という訳だ。しかし、実際には「階級/金」がある人間ほど「勝者」になりやすい社会システムが存在する、というのが本書の主張。同時に、「勝者」ゆえのつらさ(いつ蹴落とされるかという不安を抱え続けなければいけない)をも浮き彫りにし、双方の側面から「学校化社会」の問題を指摘する。

大学教育以前にふるい落とされた人間についてはほとんど触れられていないなど、あくまで著者の居る場所から見た「学校化社会」論ではあるものの、現在の学歴社会の構造、問題などがわかりやすく描かれている本書は、「学校化」している方へぜひお勧めの一冊。(さとうあき)
# by plat-home | 2008-09-26 00:00 | さとうあ

人形 (パペット) アニメーションの魅力

おかだえみこ / 河出書房新社


「人形(パペット)アニメーション」とは何か。一言で定義するとそれは、静止した人形をひとコマずつ撮影し、映写した作品をいう(ゆえに人形劇の実写映像とは異なる)。映写されて初めて、本来動いていない人形が生命を得て自力で動いているかのように見える、一緒のトリック映像である。

本書は、アートアニメ評論で活躍してきた著者が「人形アニメ」の魅力とその理解に必要な基礎知識(制作方法や歴史、代表的な作家・作品など)について、思い入れたっぷりに解説を施した「人形アニメ入門」である。

二〇世紀初頭のロシアで産声を上げた人形アニメ。やがて起きる革命がその成長を妨げるものの、同じ共産圏のチェコがその代替を果たし、戦後、人形アニメの黄金時代が到来する。「チェブラーシカ」「ウォレスとグルミット」などはその後継という位置づけらしい。「アニメ」と聞くとつい「セルアニメ」を想起しがちだが、それはアニメーションの世界のごく一部に過ぎない。もう一つの「アニメ文化」の魅力を知れば、きっとあなたもその虜となろう。(たきぐちか)

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書 61)

岡田 斗司夫 / 筑摩書房


漫画やアニメには、「世界征服」を企む支配者(悪の組織)が出てくるものがある。なぜ、その支配者たちは「世界征服」をするのだろうか。そしてそれは現実に可能なのだろうか。本書では、「世界征服」という漫画・アニメ作品の「お約束」を分析、考察する。

まず、漫画・アニメ作品や歴史に登場する支配者たちの目的やタイプを分類。それから組織の作りかたを解説し、最終章では「現代における「世界征服」は何か」を論じる。

作品を知っている者であれば、ニヤリと笑える部分もある。しかし、そういった「あるあるネタ」の域から本書は抜けきれていない、というのが正直なところだ。

悪の組織の「お約束」にツッコミを入れて笑うのにページの大半を割き、残りの最終章で「「悪」とは時代によって相対的に変化するものである」という結論を出す。「世界征服」というキーワードは共通しているかもしれないが、まったく方向性の違う話を無理に接合した、という印象が残る。(いまむらゆ)

脱「ア」入欧―アメリカは本当に「自由」の国か

広井 良典 / NTT出版


医療経済や社会保障を専門とする著者が、八〇年代末と〇〇年代初めにアメリカとヨーロッパに滞在したときの「生活実感」をベースに、それぞれの社会/社会づくりのありかたを対比的に論じ、これまで前者をモデルとしてきた日本に、目指すべき社会像の転換――ヨーロッパ・モデルの採用――を促すものである。

では、社会モデルという点で、アメリカとヨーロッパでは何が違うのだろうか。簡単にまとめると、アメリカ型モデルとは、「強い成長志向と環境配慮の薄さ、小さな政府、貧富差の拡大(と高犯罪率)」といった特徴をもつ。一言で言うと「純粋な資本主義」である。一方、ヨーロッパ型モデルとは、「(相対的に)大きな政府」があり、それがさまざまな社会保障や所得再分配政策を行う、というものだ。著者はこれを「福祉国家的な資本主義」と呼び、目指すべきはこちらだと語る。

ヨーロッパ型モデルの制度・政策面は、これまでも著者の手で「定常型社会=持続可能な福祉社会」として理論化されてきた。本書は、それを「生活実感」という側面から補強するものである。ヨーロッパの人びとの「生活の豊かさ」に、私たちもまた学ぼう。(たきぐちかつのり)

シブヤ大学の教科書

講談社


シブヤ大学とは、二〇〇六年九月開設のNPOであり、誰もが参加できる学びの場づくり、そしてそれを拠点としたシブヤの街のまちづくりを目的とする。本書は、そんなシブヤ大学の一年間にわたるユニークな取り組みを紹介した公式ガイドブックである。

シブヤ大学の授業は、毎月第三土曜日に、シブヤの街の各所で開講される。区の施設、映画館、カフェなどが教室となり、シブヤで活躍するさまざまな分野や職種の人びとが講師陣となる。環境活動家やコピーライター、医師、官僚、カレー店主、芸者、スポーツ選手、プロ棋士、ホストクラブ経営者など、非常に多彩な顔ぶれだ。

こう言うと「それは田舎や地方には無理」などの感想も生まれよう。しかし、シブヤ大学では、街に生きる誰もが講師になることができる。ここから学べるのは、何処であろうが、その場所には学びやまちづくりのネタが豊富に眠っているということだ。本書をヒントに、私たちも自分たちの暮らす街をこんなふうにつくりかえていきたい。そんな思いを抱かせてくれる本だ。(たきぐちか)

日本という国 (よりみちパン!セ)

小熊 英二 / 理論社


「中学生以上すべての人の」というYA(ヤングアダルト)新書シリーズ「よりみちパン!セ」の一冊。著者は、近代/戦後日本のナショナリズムが専門の歴史社会学者。

本書は、「日本という国」で生きている人びと(中学生以上)が、現在ならびに今後そこで生きていくにあたって必要であるような、「日本という国」のこれまでの歩み――とりわけ「日本という国」の現在に大きく貢献した「明治」と「戦後」――について概観した「よりみちパン!セ」版近代日本入門である。

19世紀後半、欧米列強から植民地にされるのを免れるために強国化=近代化に取り組み「脱亜入欧」を目指した「明治の日本」。また20世紀後半、戦争の傷をさっさと癒し経済大国として再デビューするべく冷戦下アメリカに尻尾を振り続けてきた「戦後の日本」。どちらの時代においても、「日本という国」は、アジア諸国をバカにしてきちんと関係を築いてこなかった。

そのアジアが近年存在感を増してきた。そんな現在にあって「日本という国」の進むべき方向を考えるというとき、本書は、その前提となる歴史的文脈をコンパクトに示してくれる。(たきぐちかつのり)
# by plat-home | 2008-09-12 00:01 | さとうあ

はじめてのDIY 何でもお金で買えると思うなよ! (P-Vine BOOks) (P-Vine BOOks)

毛利嘉孝 / ブルース・インターアクションズ


「DiY」とは何か。それは「DIY」とは違う。ふだん私たちの使う「DIY(Do it yourself)」は、「自分でやってみよう」を意味する。だが、それでは「やるしかない」「頑張るしかない」「勝つしかない」「買うしかない」といった感覚に囚われてしまいがち、と著者は語る。本書の「DiY」は「やらなくてもいい、がんばらなくてもいい。闘わなくてもいいし、買わなくてもいい。そんなことをしなくてもとても豊かな生活がある」あるいは「お金を使わないからこそ豊かになる、お金を使わないことで社会に従属しない」というものである。

「DiY」とは、「欲しいけれど今現在は存在しないものがある、それなら自分たちでつくってしまえ」という思想なのだ。「DiY」は時代を問わず存在している。気に入るデザインの服がなければ自分でオリジナルのものをつくればいい。やりたい活動があればそれを実現するための団体をつくればいい。演奏したいならバンドを組めばいい。それも「DiY」の枠に入るはず。考えてみれば私たちにもできそうなことだ。(ししどこ)
# by plat-home | 2008-09-12 00:00 | ししどこ

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

森達也 / 朝日出版社


著者は、オウム真理教(から見た私たちの社会)を扱ったドキュメンタリー映画『A』で有名な監督。被写体の元オウム幹部が死刑囚であるということをきっかけに、彼が本書で取り組んだテーマが「死刑」である。

彼の手法は、私たちが自明視してやり過ごしているような、そんな「何か」を焦点化し、関係者をくまなく巡り、素朴な問いかけをし、その語りを収集するというもの。現場の当事者の語りは、私たちが想像するよりずっと複雑で、入り組んでいて、ややこしい。その過程を提示されることで、私たちは、当たり前だと信じてきた前提を揺さぶられ、足場をぐらつかされ、葛藤や苦悩へと叩き落される。

本書も然り。死刑囚、元死刑囚、被害者遺族、刑務官、教戒師、元裁判官、元検事、弁護士など「死刑」をめぐる現場の人びと、そして著者の、葛藤と逡巡。かくして、私たちもまた「死刑」の現場に接続され、当事者の問いに巻き込まれる。しかし、それは必要なコストだと著者は言う。なぜなら死刑制度とは私たちの合意に基づくシステムであり、私たちの誰もがその当事者なのだから。(たきぐちか)

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